流行り風邪

目を覚ましたエレノアが最初に見たのは、白い天井と、目に涙を溜めた兄の顔だった。

「…あれ、お兄ちゃん。なんで泣いてるの?」

「エッ…エレノアァアーッ! 心配したんだぞ! 爆発に巻き込まれたって聞いたから!」

「えっ? うえっ?? ば、爆発!?」

どこも怪我なんかしてない、と戸惑うエレノアを、兄が泣きながら抱き締める。
その光景を、医務室の扉の影から微笑ましそうに見ていた司教が二人、目配せをしてその場を離れた。

「覚えてねーのかな?」

歩きながら、アルが問う。

「落ち着いたら思い出してくるんじゃない? 最後のは、記憶にないかもしれないけど」

爆発の寸前、ユーベルがエレノアに手を差し伸べた時に、自然と魔力の波が同調した。
一瞬にも満たない、ほんの隙間に流れ込んできた、エレノアの持つ素質。
流れ出る魔力の蓋であるイヤリングが片方しか作用していなかったのが、偶然にも功を奏した。
アルなら、この意図にすぐ気付いてくれるはず。
そう信じて、ユーベルが自分のイヤリングをエレノアに着けたその瞬間、僅かながら彼女と繋がったアルはその素質に気付き、彼女の頭を掴んだ。
異質な魔力の逆流を受けたエレノアは意識を失って、その潜在能力を引きずり出したアルが、聖域の魔法を発動させた。

ごく僅かな時間、ほんの数秒だけ、術者の周囲に何者からの干渉も受け付けない結界を張る、ほんのひと握りの者にしか扱えない究極の防御魔法。
ヒルダの助言通り彼女を連れてきたからこそ、爆発の威力や熱風から、すんでのところで逃れたのだった。

「いやー、あいついいもん持ってるな。あとやっぱ、ばーちゃんすげーな」

「ふふっ、お礼に、お茶でもしに行こうか」

「いいなそれ。チョコレート持ってってもいい?」

「どうぞ。まだいっぱいあるからね」

ご機嫌な様子で尻尾を揺らすアルと、隣で笑うユーベルが歩く廊下は、もう誰も咳き込んだりしていなかった。
一人だけ、自室で苦しむクリスを除いて。



後日。
自室で苦しんでいるのは、クリスではなくユーベルだった。
風邪をひいて寝込む彼の元を様々な人が訪れる。

「ユーベル様! 体調がお悪いと聞いて…ああっ!? なんで猫野郎がここに居るんですか…!?」

「ク、クリス…静かに…」

「朝からうっせーな。熱出したって聞いたから様子見に来たんだ悪いか。お前こそ野次馬か」

「野次馬じゃありません。お見掛けしないから心配して飛んできたんです。ユーベル様、食欲はありますか? 何か欲しいものは…」

と、甲斐甲斐しく世話を焼こうとするクリスの言葉を遮って、新たな人物が部屋を訪れる。

「入りますよ、ユーベル。具合はどうですか」

「げぇっ!? 神父!」

「アルベール、こんなところに居たんですか!」

「あの…し、静かに…」

「まったく、ユーベルが風邪をひいた時くらい代わりを務めてはどうですか。行きますよ、訪れる方々に祝福と加護を与えてください」

「えぇっ!? そんなん俺じゃなくてクリスに頼めばいいだろ! やだやだ行かない行きたくないー!」

「う、うるさ…」

「ユーベルさまー! お見舞いに来ましたのです! 具合はどうなのですか? すりおろしたリンゴはいかがですか?」

「ほっほっ、いつになく賑わってるね。まったく、みんな少しは静かにしたらどうかね」

「ひ、ヒルダ様、助けてください…」

「ほっほっ。えー? 聞こえないね」

「うぅ…聞こえてるくせに…」

心配してくれるのは嬉しいが、人の体調も考慮して欲しい、とユーベルは心底願うのだった。