好み

「しっかりしてるのに、妙なところで抜けてるな」

壁のような敬語を取り払ったクリスの声は、まるで慈しんで頬を撫でるように優しかった。
ドアを閉ざしたこの書庫が二人以外に誰もおらず、また滅多に人が来ることのない密室だと知っているからこそ、クリスは人前では見せない柔らかさで微笑んだ。
その変化に気付いたユーベルも、幼い頃の彼と話すような感覚で答えた。

「あはは…ごめん、無駄に手伝わせちゃったね」

「別に構わないよ。お陰様で、こうして一緒に居られるからさ」

「…そうやって話してくれるの、久々だね。本当はいつもそっちの方がいいんだけどなぁ」

ユーベルが懐しそうに目を細める。
この何でも許してくれそうな青い瞳は、下から見上げていた頃とちっとも変わらない。
いや、見下ろすようになってしまったから、少し上目遣いに見えるのが昔と変わらないように見せているのかもしれない。
そんなことを考えるクリスは意味深にくすっと笑って、運んできた段ボールを探り始めた。

「この本、棚に収めるのなら手伝おうか」

「あ。ありがとう、予定がないならお願いしようかな」

「ユーベルより大事な予定なんて、あるわけないだろ」

「…相変わらずだね」

クリスからの執着は、幼い頃の刷り込みによるもの。
そう思い込んで、他の可能性を遮断して、受け入れているようで見えない壁を作っているのを、ユーベルは自覚していなかった。
本棚の最上段へ少し背伸びをする背中が、クリスの胸を疼かせる。
温かく包み込んでくれていた腕が、本を高く掲げているのがやけに細く見えて、昔とは違う感情がきゅうっと胸を締め付けた。

「…なんだか本当に、小さくなったね」

奥まで入り切っていない本の背表紙を、代わりにすっと押し入れる。

「クリスが伸びたんだって。けっこう失礼だよそれ」

少しむっとした様子で振り返ろうとしたユーベルを、クリスは後ろから腕を絡めて抱き締めた。
まだ少年であるような薄い背中は腕にすっぽりと収まってしまって、ふわりと香る髪の匂いがクリスの庇護欲を掻き立てた。




「…き…、…」

「っ…、う、おう…びっくりした」

「びっくりした?」

「うん…」

淡い唇から零れた“好き”の二文字はどこにも届くことなく落ちて、感情の振れ幅を抑えつけたユーベルはぎくりと固まって動けずにいた。

「それだけ?」

「……。他に何があるの」

あくまで平常心を装ったユーベルが、動揺をひた隠しにして答える。
保護者のような立ち位置にしがみついて、動揺や思考を晒そうとしないユーベルの壁を突き崩してやりたくて、クリスは彼の耳元にぐっと唇を寄せた。

「僕はね、あるよ。ユーベル。…温かさ、喜び、懐かしさ」

淡々と言葉を紡ぎながら、クリスの長い指が、ユーベルの心臓を目指してつぅ、と這う。

「あと、愛しさも」

最後にそう言って、クリスはこめかみに口付けた。
さすがに動揺を隠せず、息を飲んだユーベルが胸を這っていたクリスの手を掴む。

「あ…の、ありがたいけど、…離して。こういう接し方は苦手だって、前に言ったでしょう?」

「嫌だ、離したくない。答えてくれないの、わかってるから」

「…っ…」