クリスの恋

その日は、唯一の味方であるヒルダに呼ばれて、彼女の部屋に来ていた。
大聖堂の中で個室を持っているのは、ほんのひと握りの人物だけで、それだけでも彼女がいかに力があるかがわかる。
そんなヒルダが何を言っても、クリスの耳を通り抜けるだけだった。
老人の戯言と思って、聞いているふりをして空想の世界を旅するのが、クリスの時間の潰し方だった。
いつも通り、はい、はい、と返事をして頭を下げる。
するとヒルダもいつも通り、諦めたような溜め息をついて、クリスを解放する。
なんら面白みのないやり取りを終えたクリスが部屋を出ると、そこでばったり、彼と出くわしてしまった。
赴任してきてからずっと避けていた、眩しい彼と。

「あっ、あぶな!」

「──!」

彼は山積みの本を抱えて、前が見えていなかった。
この頃のクリスは誰かと目が合わないよう、前髪を伸ばして俯いて歩いていて、前を見ていなかった。
そんな二人がドアを開けた瞬間に鉢合わせたのだから、ぶつかって当然だった。
バサバサと派手な音を立てて本が散らばる。
部屋の中にいたヒルダも慌てて駆けつけてきた。

「うわっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「あらあら二人とも、派手にやったねえ」

彼とヒルダが、クリスの前と後ろを塞いでしまう。
本当ならすぐに走り去りたいのにどちらにも行けず、逃げられないと悟ったクリスはパニックに陥った。
頭の中を笑い声がぐるぐる回り、次第に呼吸が乱れ、差し伸べられたヒルダの手をにべもなく払い除ける。

「これクリス、落ち着いて。おまえは強い子だよ、大丈夫だから」

優しく宥めるヒルダの声を拒絶するように、クリスは耳を塞いだ。
次いで、何事か叫びながらポロポロと涙を流し始めた。
ここに来た時のトラウマが蘇り、抑えつけようとする意志に反して涙が止まらない。
そんな様子を見て呆気に取られていた彼は、徐に手を伸ばして、クリスの頭を抱き締めた。
これにはヒルダも、そしてクリスも、驚いて目を丸くした。

「ごめんなさい、驚かせて。あなたがクリスさんだったんですね」

ヒルダは、クリスが彼を跳ね除けるんじゃないかとハラハラしていた。
パニックを起こして手が付けられないほど暴れたこともあったからだ。
しかしその心配は杞憂となり、次第に安堵へと変わっていく。
クリスは、彼の胸にしがみついて泣き始めたのだ。
そんなクリスの頭を、彼の手が優しく撫でて、落ち着くまでしばらくの間、ずっとそうしていた。