猫の決意

彼は猫である。
本当の名前は彼自身も知らない。
名前がないのは不便なので、訳あって「アルベール」と名乗っていた。
栗色の癖のない髪に、人懐っこいくりっとした琥珀色の目。
頭には黒い三角の耳と、お尻から伸びる長い尻尾。
耳と尻尾以外は人の形をしているアルは、一人の青年に想いを寄せていた。

青年の名はユーベルといって、魔法が存在し、神に祈りを捧げ、冒険が日常に溶け込んでいる世界で大聖堂の司教をしている。
青年といってもまだ少年を残した顔つきで、職業柄なのかいつも柔和な雰囲気を纏っていて、男だか女だかわからない、というのが初めに会った時の印象で、晴れた日の海のような青色の髪と瞳は、初対面のアルの目を惹きつけるには充分に鮮やかだった。

出会いはギルドの依頼で居合わせた退魔の現場だ。
武器を持たずに魔と対峙する彼の身のこなしは、まるで猫のように軽やかだった。
一方、アルの得意とする闇や不死を浄化する魔法は強力である分、大掛かりで燃費が悪い。
彼はアルの盾となるばかりか、魔力の波長を合わせて、浄化魔法に必要な魔力を与えることによってアルを支えた。
これにアルは驚いた。
魔力の波長を合わせるというのは、ヒトで言うところの指紋を自在に変化させるようなものだ。
まるで聞いたこともない特技を知って良からぬ打算をするアルに、ユーベルは「正しく役立ててくれてありがとう」と言って微笑んだ。

彼の柔らかい笑顔はアルの思考を止めた。

それからというもの、アルは退魔の依頼を見つけては積極的に受け、まるで野良猫のようにユーベルの遠征先に姿を現しては、偶然を装って共闘するようになった。
そうまでしてつきまとったのは、単純に心地よかったのだ。
己の力を超えた魔力を好きに扱えるのは快感であり、群れを成す魔を一掃した時の爽快感ったらなかったし、好きなように暴れるだけで飯の種になって、周りから感謝して貰えるというのは満更でもなかった。
それに隣で力を貸してくれる彼も、いつも褒めていい気分にさせてくれた。
それで飼い慣らされたのだろうか。
彼と同調するごとに距離が近くなっていく気がして、いつの間にか心が弾むようになっていた。
それと、魔力を与える際に対象に触れていなければならないという条件があったのも、アルにとっては嬉しく思い始めていた。
嬉しいと自覚してから、おかしいと気付いた。

ユーベルが笑うと、嬉しい。

ユーベルが喜ぶと、嬉しい。

触れられると、それが条件だと分かっていても胸が高鳴って気分が高揚した。
これが異性を相手にしての反応なら、間違いなく恋だと自信を持って言えた。
相手は男だとわかっているはずなのに、それでも傍にいるとドキドキして、見つめられると顔が熱くなって、気が付いたら四六時中ユーベルのことばかり考えるようになっていて。

アルはついに、流浪の退魔師から大聖堂所属の司教へ転身すると決心した。
狩りをするようにじっと狙いを定めて、短期間で一気に身の振り方を変えたアルに、当然ユーベルは驚いていた。
驚いてもいたし、なんだか嬉しそうにもしてくれていて、アルは都合よく期待を抱いた。
一度くらい玉砕したとしても、これから長いこと共に生活できるのなら、可能性はきっとあるだろうと。

これはそんな突っ走りがちな一人の猫と、コンプレックスの多い聖職者のお話。